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dark side of moon

SAの後遺症、OCDと共存しながら楽しく生きようと模索中

5つの短い章からなる自叙伝
                ~Portia Nelson


Ⅰ .私は通りを歩く。
  深い穴がある。 
  私は落っこちる。
  私はどうしたらいいのか分からない、・・・どうしようもない、
  これは私の間違いじゃない。
  出方が分かるまで、ものすごく時間がかかる。

Ⅱ. 私は同じ通りを歩く。
  歩道に深い穴がある。
  私はそれを見ないふりをして、またまた落っこちる。
  また同じ場所にいるのが信じられない。
  でも、これは私の間違いじゃない。
  やはり出るのにずいぶん時間がかかる。

Ⅲ. 私は同じ通りを歩く。
  歩道に深い穴がある。
  それがあるのが見える         
  それでも私は落っこちる、・・・これは習癖(くせ)だ
  私の目は開いている。自分がどこにいるのか分かる。
  これは私のしたことだ。
  すぐそこから出る。

Ⅳ. 私は同じ通りを歩く。
  歩道に深い穴がある。
  私はそれを避けてとおる。

Ⅴ. 私は別の通りを歩く。

 



変わりたい、もっと楽に生きたいと彷徨いながら、気づくといつも同じあの通りを歩いている。
そして同じ穴にまた落ちて、なんで私にばかりこんな不幸が何度も起きるのかと…と嘆きながら這い上がる。
けれどまた彷徨い、また同じ通りに戻り、同じ穴の前に立ち…。

繰り返し同じ穴に落ちる姿は、他人から見れば滑稽なほど明らかな間違いであっても、当事者にとっては必死に頑張っているのにまた落ちてしまう避けられない穴なのだ。
何故、自分はまたここにいるのだろう。この深い穴の中に。

多分それは、昔居た場所だからじゃないだろうか。
一番多くの時を過ごした、かつての居場所だったから。
そこがどんなに苦しい場所であれ、何度も無意識に戻ってしまうのは、その深い穴の中でしかやり直しがきかないような思い込みかもしれない。

目を開いて、そこに暗い穴が開いていることを見るのは、勇気がいる。
けれど、見なければまた落ちる。
落ちてしまうのは、結局自分の意志なのだ。
それに気づくことは、落ちることよりずっと難しくて、怖い。

 真に変わりたいと願ったとき、きっと変化のチャンスが来る。
けれど、変化には痛みが伴い、本当はそれが怖いから、穴に気づかないふりをして落ちるのだろう。
チャンスはまた来る。当事者にとっては「苦痛」という形で。何度でも。
目を見開く決意は、けれど当事者にしかできない。



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今、あの通りから呼ばれても、穴の中から、「おまえのせいで~」と罵られても、私はもうそこには行かない。
あそこは慣れた場所だけど、決して幸せな場所じゃない。
明るい所じゃない。
何かが狂っている場所だから。

そうして思い出す。
私が穴の中から叫んでいた時に、別の通りから祈っていてくれた人たちのこと。
その人たちの言葉が、まるで外国語のように理解できなかった自分のこと。

きっと今も、もっともっと明るい通りから、私を見て祈ってくれている人がいるのだろう。
もっともっと自由で幸せな場所から。