dark side of moon

SAの後遺症、OCDと共存しながら楽しく生きようと模索中

ブログのテンプレを少し明るく変えました。
気分転換です。

最近ちょっとした病気になりました。
メンタルではなくて・・・。
ちょっとした・・・っていうのもおかしな言い方ですね(笑)
命にかかわるようなものでも、メンタルに患っている病気のようにひどくつらいものでもないです。

お薬飲んで、良い子にしていればきっとよくなるはず。
希望があるって、楽ですね。
不安が少ないだけで、身体も楽な気がします。

もっともこの病気でも、重い方も多いのでしょう。
凄く症状がつらい方も多いかと思います。

日常から小さな希望と感謝を探し出して、そこにフォーカスする。
それこそが幸せになる極意だと思います。

・・・と、そんなふうに思える、良い日もあるんですけどね(笑)

『年末病の取り扱い』というタイトルの文章が「傘をひらいて、空を」というブログに出ていた。
国民的聖なる日、年末年始を「帰省して家族団らん→幸せ」という定形にはまり込めない人たち・・・その内のひとりのお話。

こんな文章を読むとほっとする。
この定形にはまり込めないひとりとしては、この年末年始の何とも言えない季節を・・・
孤独感、疎外感・・・色々人によってあるだろうけれど、
そういうのを一部でも共有出来る誰かはいるのだという確認が出来る。

すると少し焦りが消えていくのだ。
ああ、ひたすら寝ていていいんだ。
ひたすら、逃げていていいんだ。

私は、年賀状のコマーシャルが始まる頃から、焦燥感に苛まれる。

年末年始、みんな行事で忙しい・・・少なくともそんなふうに見える。
日本国民みんな師走の名の通り、慌ただしく過ごし・・・そんな気がする。
私は慌ただしくなんかない。
孤独である現実を目の前につきつけられたり、考えたくないことに面と向かわなくてはならない。
この文章に書いてあるような「精神がもっとも荒廃する」時期になる。

そしてこの文章は
「それじゃあ来年もお正月の東京を歩こう、人の少ない、うつくしい東京を歩こう。」
という一文で終わっている。

そう、私もそうしようか・・・。
この間ネットのある記事を読んで思った。
LINKIN PARKのボーカル、チェスター・ベニントンが自殺したことにふれた記事だった。
その記事を書いた筆者は彼のファンで、彼の歌を愛し彼に救われたと。
chester.jpg

今まで私が好きになった音楽やミュージシャン、画家や絵、映画、役者さんや監督、物語や作家。
みんな、私が暗闇にいる時、時空を超えてそこに一緒にいてくれたものと人。
励ましてくれたわけではなくて、多分同じ暗闇を知っているということが私には大切で、彼らはみんなやり場のない気持ちをいろんな方法で誰かに伝えようとしていて、もしかしたら伝えるというよりも漏れてしまううめき声のようなものかもしれないけれど、それは全部、私そのものの声であったり私が表現できない何かを代弁してくれるものであったりした。
私にとってもチェスター・ベニントンはそのひとりだった。

その記事の筆者も、チェスターがそばにいてくれたこと、だから行きてこられたと語っていた。
けれど、
筆者自身は救われたけど、チェスター・ベニントンはどうだったのだろう・・・と。
自分自身を救うことが出来ず、命を断ったのではないか。

それは悲しいことだ。
チェスターもまた子供の頃に性虐待を受けたひとりだったことを私は彼が命を断ったあとに知った。

でも、芸術は凄いと思う。
人の表現しようとする力は、たとえ生み出すその人自身を救えなかったとしても、知らない誰かを救うことが出来るし、未来の誰かを救うかもしれないのだから。
チェスターの音楽は、これからもきっと誰かの生きる力になっていくはずだ。

前回書いたドラマの話、あれからそのドラマは進行し、今娘は母の元を出て行くところまで来ています。

自分のもとを離れていく、そしてそれを望んでいる娘。
自立していく娘が自分と別人格であることが許容できない母。
その現実を見ないようにしようとする母親のもがきが腹立たしくも有り、逃げようとする娘にも少し苛立ちを感じます。
苛立ち・・・いえ、嫉妬かもしれません。
あんなふうに、スマートに出ていけたら良かったな・・・という。
ドラマでは充分ドロドロになっていますが、私の現実よりはずっとキレイ目な気がします。
それに母親の友人という理解者がいます。
大人の分別有る理解者が身近にいる・・・そのことへの嫉妬もあるかもしれません。

私にも手を差し伸べてくれる人はいたのかもしれない。
でも、あんなふうにお行儀よくできなかった私は、そんな人のことも知らず知らず遠ざけていたのかもしれません。
参ってます。
寝ると悪夢でうなされます。
色々疲れてます。
でも1日1日を生きていきます。