SAの後遺症、OCDと共存しながら楽しく生きようと模索中
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17:12:38
『年末病の取り扱い』というタイトルの文章が「傘をひらいて、空を」というブログに出ていた。
国民的聖なる日、年末年始を「帰省して家族団らん→幸せ」という定形にはまり込めない人たち・・・その内のひとりのお話。

こんな文章を読むとほっとする。
この定形にはまり込めないひとりとしては、この年末年始の何とも言えない季節を・・・
孤独感、疎外感・・・色々人によってあるだろうけれど、
そういうのを一部でも共有出来る誰かはいるのだという確認が出来る。

すると少し焦りが消えていくのだ。
ああ、ひたすら寝ていていいんだ。
ひたすら、逃げていていいんだ。

私は、年賀状のコマーシャルが始まる頃から、焦燥感に苛まれる。

年末年始、みんな行事で忙しい・・・少なくともそんなふうに見える。
日本国民みんな師走の名の通り、慌ただしく過ごし・・・そんな気がする。
私は慌ただしくなんかない。
孤独である現実を目の前につきつけられたり、考えたくないことに面と向かわなくてはならない。
この文章に書いてあるような「精神がもっとも荒廃する」時期になる。

そしてこの文章は
「それじゃあ来年もお正月の東京を歩こう、人の少ない、うつくしい東京を歩こう。」
という一文で終わっている。

そう、私もそうしようか・・・。
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03:01:53
この間ネットのある記事を読んで思った。
LINKIN PARKのボーカル、チェスター・ベニントンが自殺したことにふれた記事だった。
その記事を書いた筆者は彼のファンで、彼の歌を愛し彼に救われたと。
chester.jpg

今まで私が好きになった音楽やミュージシャン、画家や絵、映画、役者さんや監督、物語や作家。
みんな、私が暗闇にいる時、時空を超えてそこに一緒にいてくれたものと人。
励ましてくれたわけではなくて、多分同じ暗闇を知っているということが私には大切で、彼らはみんなやり場のない気持ちをいろんな方法で誰かに伝えようとしていて、もしかしたら伝えるというよりも漏れてしまううめき声のようなものかもしれないけれど、それは全部、私そのものの声であったり私が表現できない何かを代弁してくれるものであったりした。
私にとってもチェスター・ベニントンはそのひとりだった。

その記事の筆者も、チェスターがそばにいてくれたこと、だから行きてこられたと語っていた。
けれど、
筆者自身は救われたけど、チェスター・ベニントンはどうだったのだろう・・・と。
自分自身を救うことが出来ず、命を断ったのではないか。

それは悲しいことだ。
チェスターもまた子供の頃に性虐待を受けたひとりだったことを私は彼が命を断ったあとに知った。

でも、芸術は凄いと思う。
人の表現しようとする力は、たとえ生み出すその人自身を救えなかったとしても、知らない誰かを救うことが出来るし、未来の誰かを救うかもしれないのだから。
チェスターの音楽は、これからもきっと誰かの生きる力になっていくはずだ。


15:08:24
前回書いたドラマの話、あれからそのドラマは進行し、今娘は母の元を出て行くところまで来ています。

自分のもとを離れていく、そしてそれを望んでいる娘。
自立していく娘が自分と別人格であることが許容できない母。
その現実を見ないようにしようとする母親のもがきが腹立たしくも有り、逃げようとする娘にも少し苛立ちを感じます。
苛立ち・・・いえ、嫉妬かもしれません。
あんなふうに、スマートに出ていけたら良かったな・・・という。
ドラマでは充分ドロドロになっていますが、私の現実よりはずっとキレイ目な気がします。
それに母親の友人という理解者がいます。
大人の分別有る理解者が身近にいる・・・そのことへの嫉妬もあるかもしれません。

私にも手を差し伸べてくれる人はいたのかもしれない。
でも、あんなふうにお行儀よくできなかった私は、そんな人のことも知らず知らず遠ざけていたのかもしれません。

2016/05/01
16:39:17
参ってます。
寝ると悪夢でうなされます。
色々疲れてます。
でも1日1日を生きていきます。

14:30:22
  (まっすぐと屈折のはなし その1)

兄弟姉妹は対照的に育つことが多い。
同じ家庭の中で20年近い年月を過ごしてきても何故か、正反対のキャラクターだったりする。

私自身もそうだ。
私の、とても歳の離れた姉は私のSA加害者の配偶者でもある。
それを知っていて彼女があの男と結婚したのかというとそうではない。
私が姉に何も言わなかったからだ。
というか言いそびれた、言うチャンスがなかったからだ。

でも、現在は知っている。
知っているはずだ。

知っているとは思えないけど、私は話したから。

知ってるんだと思う。

一生言わないでおくはずだったのに
配偶者がいながらもあの男が理解し難いことに、妹である私に同じ行動を繰り返そうとしたからだ。
もう私は過去のようにその行為の意味がわからないほど幼くはなかったからそれは未然に終わったけれど
以前とは意味が違っていると思った。
姉に対するあの男の裏切りだと、思った。

私はその裏切りを隠すことは裏切り行為の共犯だと感じた。
姉はあの男とともに私に謝罪した。
あの男は芝居がかった悲しそうな顔をして私を直視して謝罪した。
その無神経な顔がずっとずっと焼き付いていて、度々不意に思い出してはお腹の中から何かが喉のところにこみ上げてくるのを数百回飲み込んだ。

姉も私に泣いて誤って、そして

あの二人が何を話してどう解決したのかは知らないけど
全ては無かったことになった。

この一連の出来事を、私は全く消化できずに今に至り
きっとこれからも宙ぶらりんのまま、あの家族と関わり続けていく。
そのことが、多分一生足かせになったまま私を精神的な囚われの状態にしたままにする。
考えると絶望的になるので私は時々あの家族がやっているように
無かったことにする、ことに便乗してみようかと思ったりもする。

でも出来ない。
余計に苦しくなる。

あの男の真の邪悪さを世界中で私以外の誰もしらない。


話をもとに戻すけれど、
友人の母とその叔母の姉妹に、私たち姉妹はよく似ていると思う。
私には、物事を深刻に考えずまっすぐに捉え嫌なことは忘れてしまうという術に長けている姉が
賑やかに楽しく仲良く暮らしているのを羨ましく思う。
姉の娘が何も知らずに私を叔母として慕って家族旅行に誘ってくれたりするのを恐怖とともに嬉しく思う。

私はいつも自分を裁き怯え次に襲ってくる困難を恐れて息を潜め
時に明るく賑やかなあの家族を妬みそんな自分をまた裁く。

友人の母と叔母は歳を重ねても未だ、
相容れないお互いの暮らし方と生き方と価値観で大きく隔てられている。
それは私達と全く同じだ。
私の友人はある年齢になって心身ともに独立し、もはや年老いた母親に
自分を理解してもらおうなどという思いからは開放されて自由になりつつ有る。
長い年月かかったその共依存からの独立は、
対照的な姉妹のそれぞれの形での試練でも有ったのだと思う。

一方で私にとって最愛の娘があの家族の一員になってしまったこと
その娘の選択によって私があの人々と縁を切ることすらできなくなってしまったこと
深い確執が次の世代を巻き込んでこじれていく様子は
きっと私への罰なんだろうと、これまでの生き方を振り返ってみたりする。

そして今、友人の叔母であるその妹は、心を病んでいる。
私はその姿に自分を重ねて
本当の幸せとはなんだろうかと思ったりする。

どれだけ大きな罪を私は犯したんだろう。

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